萩生田光一衆議院議員インタビュー

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萩生田光一衆議院議員
萩生田光一衆議院議員

親台湾派議員として、精力的な政治活動を行い、数多くの成果を獲得してきた自由民主党萩生田光一衆議院議員に、台湾との交流を聞いた。

Q台湾とのつきあいは

A僕は都議会議員出身なので、かつて台北市議会議員と交流をしていました。

Q国会議員になってからは

A2003年に国会に来まして、最初は国際部長(自民党青年局の役職)になりました。当時は国会議員の皆さん、台湾が大事なことは分かっているんですが外遊はヨーロッパやアメリカが人気で、過去の事例を見ると2人とか3人しか台湾を訪問していなかった。対して、台湾からは民進党も国民党も定期的に日本を訪問されていて、カウンターパートとして失礼じゃないかと。それで僕が青年局の部長のときに、国会議員が行かないなら地方の皆さんを連れて行こうといって始まったのが、この9月に、小泉進次郎自民党青年局長が約100人規模で台湾を訪問されようとしているミッションの始まりなんです。

※自民党青年局局長の小泉進次郎衆議員が9月に同青年局議員団を率いて台湾を訪問する。台湾訪問中、馬英九総統との会談も予定されている。青年局のメンバーは国会、地方議員94名。

Q青年局長の役割は

A日本と台湾の間には国交がないため、昭和44年に自民党と国民党との間で政党間交流で外交窓口を開けておこうということになり、その責任者を自民党の青年局長が務めるというルールができたわけです。

Qご自身の成果は

A僕は41代の青年局長ですが、僕の前の方の苦労があってのことですが、ノービザでの交流、運転免許証の相互利用が実りました。一番、お役に立てたかなと思うのが外国人登録証の問題です。当初、国籍欄は「中国(台湾)」となっていたのを、交渉によって選択制にすることができました。つまり、「中国(台湾)」と「台湾」を選べるようにしました。さらに、地方都市交流においても大陸を意識して姉妹都市締結も難しかったんですが、僕の選挙区である八王子(高尾山)と台湾の高雄との間で、市長さん同士お会いしていただいて、意気投合の末、姉妹都市締結が実現した次第です。

Q東日本大震災について

A当時、議員ではなかったんです。台湾のレスキュー隊の皆さんがいち早く成田に到着していたにもかかわらず、民主党政権は中国の救援隊が来るのを待って、入国させなかった。これほど国家として失礼な待遇はないと思っていましたので、憤りを感じました。

Q台湾との交流は

Aどんどん密接になっていると思います。年間300万人の往来があります。これは安倍第一次政権の時にアジアゲートウエイ構想で羽田の国際化を図り、台北松山空港との間で直行便を出したりしたことなども効果をあげていると思います。

Q超党派の活動は

A日華議員懇談会がありますし、自民党に限らず各党に親台湾派の議員の皆さんがおいでです。参議院選挙が終わり、政治体制が落ち着いてしばらくこのメンバー(議員)で政治を行うのでしょうから、変に自民党に固まらないで、台湾外交についてはウィングを広げ、超党派で若手の仲間を作りたいと思っています。

Q尖閣問題について

A台湾にも主張はあると思いますけど、直接、領有権を求めるのは台湾側の本意ではなく漁業権だと思っています。同じ価値観を持つ両国ですから上手にやっていけると思います。

Q自民党の政策は

A安倍政権は日台関係を前進させるチャンスだと思います。これまでの日台政策をキチンと踏襲すればいいと思いますが、今は、外交窓口が青年局長で済むのかどうか、そういうお付き合いのレベルかというと、そうではないですね。いろいろな行政レベルで、キチンと大臣とまではいいませんが、相応の人間が向こうの閣僚と話をしなければならない案件は少なくないです。漁業権の問題もそうですし。中国にどのような影響が出るかわかりませんが、なるほどと皆が納得するテーマにおいては、一切政府の要人の入国はまかりならんという不文律は少し、崩してもらっていいんじゃないか。それができるのは安倍政権じゃないかと思います。

プロフィール

昭和38年8月31日、八王子生まれ。早稲田実業高等部、明治大学商学部卒業。平成3年、27才最年少で八王子市議会議員に初当選。平成7年、八王子市議会議員に2期目当選。自民党三多摩14代青年部長。平成13年、東京都議会に初挑戦、トップ当選。平成15年、衆議院選挙の東京第24選挙区から出馬。10万8843票を獲得し、初当選。平成17年、郵政解散による衆議院選挙で、八王子自民党悲願の連続当選。平成18年、党青年局長(第41代)、文部科学部会科学技術選任部会長、平成19年、党副幹事長、平成20年、文部科学大臣政務官を拝命、平成21年、衆議院選挙。12万1867票 の支持を頂くも落選。平成24年、衆議院選挙で3期目の当選(小選挙区)。自民党選対事務局長兼副幹事長に就任。