熊本電気鉄道は6月3日、地震の被害を乗り越え台湾南部・高雄市に初の海外事務所を開設した。
同社は明治42年の創業以来熊本市民の足として鉄道・バス・旅行業など堅実な経営を続けてきたが、もう一段の飛躍を目指して、海外でのビジネス展開に踏み切ったものだ。
中島敬髙社長に台湾進出のいきさつや狙いについて聞いた。
記者:ローカルな鉄道会社が海外に進出しようと考えた発端はどこにあるのでしょうか?
中島:他の地方鉄道会社と同様に、弊社も鉄道や路線バス事業の低迷、国内観光の需要減という厳しい環境にあり、海外に活路を見出せないかという考えが芽生えました。それ以来、かなりの期間模索を続けてきました。
記者:進出先に台湾を選んだ理由は何でしょうか?
中島:弊社の第三代社長を務めた故松野鶴平氏(元参議院議長)が蒋介石総統と親交が深かったこともあり、歴代社長が何度も台湾を訪問するなど、親交を重ねてきました。
このような背景の中で、台湾新聞社の紹介で台湾の対日窓口機関である亜東関係協会(East Asia Relations Commission)やチャイナエアライン(中華航空)などとご縁ができました。
記者:話が具体化したのはいつごろですか?
中島:社内で台湾とのビジネスが話題に上ったものの、なかなか実現には至りませんでした。具体的な調査に取り掛かり、実行方法を検討し始めたのは2012年ごろからです。
記者:熊本市が政令指定都市に移行した年ですね。また前年の2011年3月には、九州新幹線鹿児島ルートが全線営業運転を開始しましたね。
中島:はい。当時、阿蘇くまもと空港国際線振興協議会などが東アジアへの新規国際線の誘致活動を活発化させており、2013年には、熊本県及び熊本市が台湾第2の都市である高雄市との間で、貿易・投資の促進、観光、教育等の分野における相互交流促進、定期便就航へ向けた協力体制構築のための3者協定(MOU)を締結しました。
これに沿って陳菊・高雄市長が来訪し、2013年にはチャイナエアラインが高雄~熊本線のプログラムチャーター便を就航させました。同社はその後2015年10月から定期便を運航し始めましたが、搭乗率70%超を維持するほどの人気となり、台湾南部と山鹿市や大津町など県内各地との交流も始まりました。
記者:台湾南部と県内各地との交流が盛んになったのですね。
中島:そうです。弊社も高雄市、台南市などの台湾南部の行政機関や航空会社、旅行会社との信頼関係を構築し、バス、宿、観光、土産物等の相互協力システムを作り上げることができました。ここに来て、もう電話やメールだけのやり取りでは追い付かなくなり、事務所を開設することになったわけです。
記者:貴社も地震で大きい被害を受けたと思いますが、事務所の開設は予定通り進めたのですか?
中島:駅舎が破損し、レールが曲がるなどの直接的な被害と貸切りバスのキャンセルなどを合わせて、金額的には1億円超の被害を受けました。しかし、こんなことに負けてはいられないと社員が一丸となって計画を進めてくれました。当初は5月初旬の開設予定でしたが、社員の頑張りと周囲の方の支援のおかげで、1ヶ月遅れで実現できました。
記者:貴社の利益に占める台湾関係ビジネスのウエイトはどのくらいでしょうか?
中島:有り難いことに、利益の3割を占めるまでになりました。
記者:今後の台湾ビジネス、日台交流についての考えをお聞かせください。
中島:観光に来ていただくにしても、景勝地を見て回り美味しいものを食べて頂くだけのものではなく、文化や歴史を感じ、人と人の心が触れ合うものを九州各地と連携して提供したいですね。例えば、熊本・福岡には、台湾の国父・孫文との交流にまつわる歴史があります。また、日本統治時代には1万人以上の九州人が教師、医師、技師として台湾に渡り人生の黄金期を過ごしたのですから、大分、宮崎、鹿児島、佐賀、長崎にも台湾の人との深いつながりがあるはずです。
九州ではありませんが、台湾でダムや用水路を建設し、痩せた土地を最大の穀倉地帯にした恩人として中学校の教科書にも掲載されている八田與一技師の里(金沢)へ台湾の修学旅行生を案内したい。もちろん、日本人を烏山頭ダムや八田記念公園に案内し、我々の先輩が台湾でどう評価されているかも知ってもらいたい。これらを立体的に結び付けて日台の交流の役に立ちたいと思っています。
観光だけでなく、お互いの物産をPRして輸出入を促進したり、自治体や学校の交流の橋渡しもしたいですね。
記者:高雄市から、更に大きいマーケットである台北市に進出する計画はありませんか?また、タイ、ベトナムなどアジアの元気な国へ進出するおつもりはありませんか?
中島:気持ちとしては「台湾を通じてアジアの活力を取り込み、熊本を元気にしたい」と思いますが、先ずは一歩一歩足元を固めることからやっていきたいと思っています。中小企業であるという身の丈も分かっていますし、当面観光を主体とするためには、熊本との直行定期便があることが大前提です。
明治42年創業といえば、107年の歴史を持つ老舗企業である。革新的な事業に取り組むことの難しさもあるかも知れない。しかし一方で公共交通機関離れが進む厳しい経営環境の中にある中堅鉄道会社として、しなければならないことは山のようにあると思われる。
難しいかじ取りの中で台湾進出を選び、新しい事業のあり方を語る中島社長からは、地震を乗り越えて少しでも前に進もうとする芯の強さと何としても熊本復興を成し遂げようとするミッションへの意欲が伝わるインタビューであった。