松本彧彦さん、「霧社を観光地に!」

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日台スポーツ・文化推進協会の松本彧彦理事長
日台スポーツ・文化推進協会の松本彧彦理事長

今年の7月、平成28年度の「外務大臣表彰受賞者」の個人賞を受賞した日台スポーツ・文化推進協会の松本彧彦(まつもと あやひこ)理事長。これは、10年以上前より台湾に友好の証として桜を植え続け、2011年には東日本大震災後に多額の義援金を送ってくれた台湾に感謝の気持ちを伝えようと6人の青年スイマーがリレー方式で挑戦した「日台黒潮泳断チャレンジ」を実行するなど、日台友好を目的に、常に有意義な活動を行ってきた事が評価されての結果である事実は疑いの余地もない。

約50年に渡り日台関係に尽力し続けて来た松本理事長だが、現在、次の活動に向け、動きを見せているのだ。「霧社を日本人も訪れる観光地にしたい」(松本理事長)。

1930年10月27日に台中州能高郡霧社(現在の南投県仁愛郷)で起こった台湾原住民による日本時代後期における最大規模の抗日暴動事件・霧社事件。日本人約140人、日本軍人・警察官約30人が死亡、原住民約1000人が死亡または自殺したというこの事件は、魏徳聖監督により「セデック・バレ」という映画の題材にもなっている。

松本理事長は霧社事件の悲劇より85年の節目の年となった2015年の2月1日、「“霧社に桜を”台日文化交流・友好の桜植樹式典」を開催した。同事件が起こった霧社の地に日本の友好の証である桜を植樹し、日本と霧社の和解、そして日台の確固たる友情を願ったものだった。そして、その際に現地の原住民の人々と交流を行った松本理事長は、「この活動を通じて、日本と霧社が本当の意味での和解をした、と感じることが出来た」と話した。

また、「桜が育てば霧社は桜の名所になり、多くの人々が訪れる観光地に発展するだろう。そのほか、霧社には沢山観光資源もあるのに日本人が知らないのは勿体ない。原住民の方々の生活を助ける為にも、霧社を日本人も訪れることの出来る観光地にしていきたいと思っている。沢山の日本人が霧社を訪れることで、過去を知り、その上での友好を築いていけたら」と希望を述べた。

しかし、霧社の観光地化に向けては1つ問題があるという。同植樹をした際、現地の方の案内で霧社を回った松本理事長は、「霧社には、同事件を巻き起こしたモーナ・ルダオの立派なお墓がある。しかし、同事件の日本人被害者らの共同墓地の上には現在、建物が建てられている。建物の脇に共同墓地の階段が残っているだけで、そのほかは全て跡形もない。これでは霧社を観光地にするにあたり、あまり良くないのではと考え、台湾の中央政府や原住民の方々にもこの問題を解決できるようお話をした」という。

これに対し、中央政府は、「原住民の方がよければ」と話し、霧社の原住民らも了解してくれたという。また、新たに台北駐日経済文化代表処の処長に就任した謝長廷代表にも話を持ちかけ、松本理事長の意図への理解が得られたと言う。松本理事長は、「霧社の郷長からは、『まず、慰霊碑を建てることから始めては?』との提案も頂いている。これを受けて、まずは今年から来年にかけて慰霊碑を建てるところから進めて行きたい。そして、私達が霧社に植えた桜が咲く来年の春頃に、慰霊碑を完成させ、除幕式を行いたい」と、期待の表情で企画を述べてくれた。

※台湾新聞掲載の記事に一部誤りがありました。謹んでお詫び申し上げます。