日台スカラシップ受賞学生らが台湾研修~次世代の日台架け橋を目指して~

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「第14回 日台文化交流 青少年スカラシップ」の受賞者による台湾研修旅行が行われた

日本工業新聞社(フジサンケイビジネスアイ)と産経新聞社が日本と台湾の文化交流促進を目指して行う「第14回 日台文化交流 青少年スカラシップ(以下:日台スカラシップ)」の受賞者による台湾研修旅行が3月21日より26日まで5泊6日で行われた。同研修旅行に参加した受賞学生13人は、現地での交流を通じて台湾への理解と興味を深め、次世代日台交流の架け橋となるべく第一歩を踏み出した。

受賞学生らは同研修旅行で、陳建仁副総統や外交部國際傳播司参事回部辦事の李國榮氏、亜東関係協会副参事の張淑玲氏、教育部国際及両岸教育司副参事の黃冠超氏らを表敬訪問。訪問の際には、台湾の現状や日台交流への思いなどの説明を受けただけでなく、具体的な質問を問いかけるなど、積極的な交流を図った。

外交部國際傳播司参事回部辦事の李國榮氏を表敬訪問

亜東関係協会副参事の張淑玲氏(下段中央)を表敬訪問

また、台北市内では国立故宮博物院や龍山寺、中正紀念堂、孔子廟の観光、伝統芸能である布袋戲(人形劇)の体験、烏来の原住民文化体験のほか、台南では赤崁樓と国立故宮博物院南院、嘉義では八田與一記念園区と烏山頭ダムなどの観光名所も訪れ、台湾の風土や文化にも触れた。

国立故宮博物院南院にて

烏来の原住民族の学生らと交流

同世代のタイヤル族の学生らと中国語や英語で交流

さらには地元の延平高級中学や東呉大学で若い世代同士の文化交流を行い、台湾人学生の自宅へのホームステイなども経験した。別れの際には泣き出す学生もいるほど、密な交流となった。

別れを惜しむ延平高級中学ジャスミンさん(左)と藤村美碧さん

訪問団の学生団長を努めた立教大学3年生の浅野華さんは「陳副総統とお会い出来た事は貴重な機会ですので、一番印象に残っています。また、ずっと前から知っていた烏山頭ダムに実際に行けた事も嬉しかったです。当時の日本人が台湾にダムを作り、それを今でも大切にし続ける台湾人がいる事に感動しました。今後、日台の架け橋になりたいと考えていますが、それは、『何かしら日台に貢献しなければならないという事だ』という意識が芽生えました。今回の研修で同じ意思を持つ仲間とも出会えたし、みんなに負けないように、いつかは日台の為に日本の代表として活躍したいと思います」と目標を話した。

積極的に質問する立教大学3年生の浅野華さん

日台スカラシップとは、台湾に関する作文、または中国語のスピーチで審査を行い、中学生、高校生、専門学校生、大学生(大学院生含む)の応募者の中から、大賞・優秀賞の受賞者を台湾研修旅行に招待するといった取り組み。日台間の相互理解や交流を深める事を目的に行われており、今年で14回目となった。今年は応募者515人の中から1人が大賞、1人が審査委員長特別賞、11人が優秀賞を受賞し、13人全員が研修旅行に参加した。

出発日の21日午前には、東京都千代田区のサンケイプラザで表彰式が行われ、台北駐日経済文化代表処の謝長廷代表らも出席。謝代表は、「受賞者らが将来、台湾と日本の友好交流の懸け橋となり、台湾の若者と共に国際社会に貢献できるように期待している」と話し受賞学生らを激励した。

台北駐日経済文化代表処の謝長廷代表と台湾について話す拓殖大学2年の内野 武志くん

 


-大賞作品-

日台医学生交流 ~未来への健康寿命向上を目ざして~

東京医科大学4年 岩間優

 

私は高校生のときに、台湾でホームステイをした家庭の医学生からいろいろな話を聞く

なかで、医学に興味を持った。そして、いま、私は医学生となり、この夏、日本統治時代に戦争に激しく翻弄されながらも強い意志を持って医師を志したひとりの医師の『或る医学生の戦争日記』という本に出会った。戦況が悪化するなかで、命がけで日本へ渡

航し、福岡の医学専門学校で学ぶものの、戦争末期には勉学に集中するには困難な状況で

あったばかりでなく、生き抜くために必死で、あらゆる苦難を乗り越えていく医師の行動力に私は心を震わせた。ただ、その深刻さだけでなく、明るい未来に向かって自らの医学に対する志を貫こうとする姿勢が、いまの私を鼓舞してくれるものであった。

私は、過去の日本と台湾の関係は変えることはできないが、次世代を担う私たち世代が新しい時代を築くことはできると確信している。そのために、私は自らが進路として決めた医学を通して同世代の人たちと共に日本と台湾で新たな医学での親交を持てるように、

その一助となる活動をしたいと思っている。

台湾の医療技術は高く、特に情報化はめざましく進んでいる。インターネットによる診

療予約は多くの病院で導入されているようだ。国民全員が医療カードを持っていて、各人の医療情報が書き込まれているチップがついているものだ。また医療サービスも、低い費用にもかかわらず、とても良いという話を聞く。

私たち医学生は互いに自国の医学の情報を交わしあいながら、未来に向けて相乗効果が上げられる医療の在り方を模索することができるのではないかと思う。医学を学ぶ場所は違っていても病に苦しむ患者の思いは変わらないだろう。それに寄り添う医療の在り方は、いろいろなやり方があっていいはずだ。

そのためには、まず医学生のときから、グローバルな視野に立って、交流をすることが

大事だと思う。異文化交流となると、言語バリアなど悩ましい障害はあるが、医学という共通の強い思いがあれば自信をもって壁に立ち向かえる向かえる。その思いが共通であれば、周りの人にも行動やその効果が波及していくはずだ。

日本と台湾の医学生が、そこで得た知識を活かして将来設計を行い、医師となってから

海外でも活躍できるようになれば、世界の医療をも変えていくことができるのではないだ

ろうか? そう考えるだけでもわくわくする。

台湾もいま、日本と同じように高齢社会に向いているという。人の寿命が、そのまま健康寿命であるということでは残念ながら、そうではないのが現状だ。

私は日台で共同しながら、健康年齢上昇につながる先端医療技術を考えたい。疾患の予防と治療や新しい疾患の再生医療技術などを利用した根治治療の達成などが目標となる。これは、ひいては社会的利益につながるのだ。日本でも台湾でも医療費は国政財政の悪化を招く。もちろん個人にとっても不要な医療費の出費を防ぐことができるので有効だ。なによりも最期まで元気にいきがいをもって生きることができることは、本人はもちろん、若い世代にとっても老後の不安を軽減する一因になる。世界に先駆けて超高齢社会を迎える日本と、台湾が手を取り合い最先端医療技術による健康寿命長寿国に共になり得ることができれば、世界的にそれが手本となるはずだ。

台湾から激動の時代を生き抜いた自らの体験を綴った『或る医学生の戦争日記』の著者は卒寿を迎えるいまも医療に携わっているそうだ。戦時、戦後と混沌とした時代に、波乱万丈な人生でありながら、いま、心穏やかに日々を過ごされていることを知り、私は、改めて自分がやるべきことについての思いを強くした。世代は替わり、時代は移りゆくが、医師として患者に真摯に向き合うという心得は変わらないはずだ。来年は学生医師として、病院実習も始まる。国境を越えて、すべての人が可能な限り健康で、平温であることを願わずにはいられない。その思いをひとつにできる同世代の仲間とともにそれを具現化する一歩を踏み出したいと思っている。

授賞式にて。東京医科大学4年 岩間優さん(左)と謝代表

 

 

 

(2017/03/28)

 

 

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