蓬莱米の母:末永 仁氏のご子孫に台湾からの感謝状

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現在台湾で食べられている多くの米のルーツ「蓬莱米」。その開発者の一人である末永仁(すえなが めぐむ)氏に対する台湾政府からの感謝状が7月6日、台北駐福岡経済文化辦事處の戎義俊處長(総領事)から福岡県大野城市に住む孫の末永英明氏に贈呈された。

末永英明氏(右)の自宅を訪ねて戎義俊総領事(左)が感謝状を贈呈

いま台湾では、台中秈10號、台農71號、台粳16號、台南11號などの美味しい銘柄の米が出回っているが、その多くが日本統治時代に磯永吉氏と末永仁氏が10年以上の辛苦の末に開発した「蓬莱米(台中65號)」の流れを汲むものだという。そのため今も台湾の人々は磯氏を「蓬莱米の父」、末永氏を「蓬莱米の母」と呼んで尊敬と感謝の念を表している。

感謝状の贈呈にあたって戎義俊総領事は「台湾政府並びに2,300万人の国民を代表して感謝の意を伝えることが出来て心から嬉しく思います」と述べ、末永英明氏は「開発から長い年月を経ているにもかかわらず、未だにこうして感謝の気持ちを伝えていただける台湾の方々の心に感激致します。祖父もきっと喜んでいると思います」と応じた。

さらに戎総領事は末永仁氏が24歳の若さで台湾に渡り、台中の農業試験場で磯永吉氏と2人で昼夜を分かたず努力・研鑚に励んで蓬莱米の開発を成功させたこと。そして過労のために53歳の若さで亡くなったことに触れ、これこそ私利私欲を捨てて公益のために尽くす「日本精神(リップンチェンシン)」であり、台湾人が尊敬して止まぬところであると述べた。また、蓬莱米の開発以前は貧しかった台中を中心とする15万ヘクタールの土地が大穀倉地帯に変身して農村が豊かになったことに対して地元の人々はいまも末永、磯両氏を神様のように崇め慕っていること。台湾で年に三回収穫できる蓬莱米が主食以外にビール、米焼酎、清酒の主原料として日本をはじめ諸外国へ輸出され、稼いだ外貨が台湾の工業化にも寄与したことが報告された。

贈呈式に参加した福岡県会議員の加地邦雄氏、井上順吾氏、大野城市会議員の関井利夫氏からは、このような末永氏の功績を讃えて、台湾の総合科学メーカー「奇美実業グループ」の創業者 許文龍氏が三体の胸像を製作し、勤務した臺中區農業改良場、福岡県農業試験場、母校である大分県の三重総合高等学校(旧三重農業学校)に設置されたことにまつわるエピソードも披露された。

臺中區農業改良場に設置された末永 仁氏の胸像(写真提供:関井利夫氏)

贈呈式後の談話では、末永氏をはじめとする多くの日本の先人達が台湾の農業改革、教育の普及、インフラ整備、産業育成、衛生環境改善などを、武士道を道徳的規範とした日本精神で推進したことに多くの台湾人が高い評価をしていること。それにも拘らず本家本元の日本でそのような精神が薄れつつあることに対する危惧と、改めて台湾に学ぶ必要性があることが話題となった。

贈呈式に参加した人々(左から順に関井利夫氏、戎義俊総領事、加地邦雄氏、末永英明氏、井上順吾氏)

 

末永英明氏(右)に台湾の状況を説明する戎義俊総領事(左)