留学生の夏 ~博多山笠参加で認識日本、認識台湾~

taiwannp12 Post in 日台交流
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毎年7月1日から15日までの半月間、福岡の中心部は博多祇園山笠のお祭り一色に染まる。

市内14ヵ所に歴史上の人物や神仏、龍や虎などの動物像を花や木で飾り立てた背の高い「飾り山」が置かれ、見物客の目を楽しませる。ワイシャツ・ズボン姿のビジネスマンやファッショナブルな女性が行きかう中に法被(はっぴ)に褌(締め込み)姿の男たちが違和感なく溶け込んでいる。

期間の後半には、飾り山とは別に男たちが担ぐ山車である「舁き山」が登場し、流れ舁き、朝山、他流舁き、追山ならし、集団山見せなどの行事を経てフィナーレの「追い山」へ向けて街を練り歩く。

この行事に毎年5人の台湾留学生が参加している。山笠は博多の総鎮守とされる櫛田神社のお祭りであり、氏子町内に住むか、そこに仕事場がある人でなければ、福岡市民といえども勝手に参加することはできない。それにもかかわらず台湾の留学生が参加しているにはわけがある。日本は1972(昭和47)年に電撃的な「日中国交正常化」を果たしたが、同時に台湾との正式な外交関係が切れ、日台間に様々な混乱が生じて、福岡にいた留学生もずいぶん肩身が狭く心細い思いをした。この窮状を見かねた台北駐福岡経済文化辦事處、福岡アジア美術館、鹿島建設などが協力して太閤町割りを起源とする地域グループ単位の一つである「土居流れ」に参加の可能性を打診した。それぞれの町名を冠した七つの「流れ」の中には、かたくなに伝統を守り、部外者が入ることに難色を示すところも多いが、幸い「土居流れ」はオープンな気風で留学生を受け入れてくれた。

毎年留学生たち(左から黄柏瑋、呉承鴻、一人置いて金柏諺氏)を受け入れてくれる土居流れの人々

博多祇園山笠は1241年(日本年号「仁治2年」)から始まり800年近く続く国指定重要無形民俗文化財で暗黙の約束事も多いだけに、外国人にそれを理解し、同化してもらえるだろうかという懸念も当初はあったらしい。締め込み(ふんどし)ひとつ身に付けるにも、作法があり、仕上がりの形が決められている。年長者や、役職者に対する挨拶の言葉、メンバーの食事の準備や後片付けを誰がどうするかなどにマニュアルがあるわけではない。1つ1つ周りの人に教わったり、自分で推し計りながら、阿吽の呼吸で動かなければならない。

そこで土居流れでは、毎年の受け入れ人数を5人に絞ること、そしてその内の1人ないし2人は、1年限りで辞めるのではなく、2年以上継続して参加するというルールを作った。今年は去年に続いて二度目の参加となった黄柏瑋氏がリーダーになった。残りの4人は留学生会のFacebookを見て申し込んだ。人数が多すぎると教育や世話が行き届かない。加えて参加者の人選を留学生会に任せて責任を持たせたことによって、留学生の山笠参加がスムーズに動くようになった、と世話役の一人である嶋田正明氏は言う。

フィナーレの7月15日早朝 (右から金柏諺、呉承鴻、孫祥方、徐維宏、嶋田正明、黄柏瑋の諸氏。左は応援に駆け付けた留学生会の皆さん)

土居流れの人々は恒例になった留学生の参加を楽しみにしていて、おっかなびっくりで締め込みを身に付ける留学生を手伝ったり、周りの人々との接触の仕方を丁寧に教えながら、次第に目の輝きが増してくる彼らに親しさと逞しさ感じるという。留学生の方でも普段接することが少ない日本の年長者から伝統・風習についての話を直接聞くことが出来ることを楽しみにしているようだ。今年リーダー役を務めた黄柏瑋氏は、「去年に続いてよく帰ってきたね」と言われ、胸を熱くしたという。今回参加した留学生の殆どは、以前から山笠に興味を持っていたところへ留学生会のFacebookで参加のチャンスがあることを知ったという。

実際に参加した感想として口にしたのは、くじけそうになりながらも沿道の声援を背に5キロのコースを約30分かけてほぼ全力で走り通せた達成感。「オイサッオイサッ」の掛け声から得た「流れ」の人々の一体感。八百年の長い歴史の中の一ページに参加しているのだという存在感。前年は皆の後ろからついていくだけだった自分が今年は山を舁いているという充実感などで、生涯の素晴らしい体験を得たということであった。

締め込み姿で勢ぞろいした今年のメンバー(左から徐維宏、黄柏瑋、孫祥方、金柏諺、呉承鴻氏)

山笠に参加した留学生と土居流れの人々はすべての行事を終えた後、「オッショイ会」という親睦グループを作る。かつての山笠卒業生の結婚式に台湾に招かれた土居流れのメンバーが山笠の定番である「博多祝い唄」を披露するなど心のこもった交流がその後も続いている。

日本統治時代に教育を受けた「日本語世代」と台湾に生まれ育ちながら戦後日本に引き揚げた「湾生」の間の固い絆が高齢化によって薄れていくことが心配される中で、台湾に対する明確な知識と認識を持たない日本の若者と、認識台湾教育で育った「天然独」と呼ばれる台湾の若者がどのような交流を築いて行くかが心配される中、山笠のような伝統行事を通じた交流が新しい時代を構築する方法の一つになるのかも知れない。

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