静かなる感動 映画「空を拓く〜建築家・郭茂林という男」初上映—第25回「東京国際映画祭」—

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酒井充子監督

第25回東京国際映画祭公式出品作品「空を拓く〜建築家・郭茂林という男」が10月24日、COREDO室町・日本橋三井ホールで初上映された。同映画祭「日本橋で日本映画を観よう」部門の作品として注目されていた。会場のキャパシティは約200席。満席だった。

会場の様子

上映を前にして舞台挨拶に立った酒井充子監督は、「今日、映画が完成して初めてお客様にご覧いただきます。素晴らしい機会をいただき、ありがとうございます。関係者・スタッフを代表して御礼申し上げます」と語った。また、上映を前にして、4人の出演者の方々が残念ながらお亡くなりになり、哀悼の気持ちを捧げたいと言葉を足した。

映画「空を拓く〜建築家・郭茂林という男」は、今年4月、90歳で鬼籍に入った台湾出身の建築家・郭茂林氏の人生を追ったドキュメンタリーだ。

郭氏は、日本統治下の1921年に台湾で生まれた。日本式の学校で日本語で教育を受けた。1940年台北州立台北工業学校(現国立台北科技大学)卒業後、来日、東京大学の助手を経て、日本の超高層ビル建設の曙となった霞ヶ関ビル(1968年)を手掛けたのを皮切りに、著名な建築物のほとんどと関わった。世界貿易センタービル、池袋サンシャインビル60、新宿副都心の高層ビル群など、また、台湾においても台北駅前の超高層・新光三越ビルほか、同郷の政治家李登輝(初代台湾人総統)氏とともに台北市の都市開発でも数多くの実績を残した。これだけの仕事をしていながら日本では建築業界はさておき、一般的にはほとんど無名だった。

「なぜ郭さんかと申しますと、この映画の発起人である加藤美智子さんに、お電話をいただき、こういう人がいるんだけど撮りませんかと声をかけていただいたからです。その後、郭さんとお話をするようになり、建築は分からないけれども“郭茂林”さんがどんな人なのかだったら撮れるかもしれないと思うようになりました」(酒井監督)

酒井監督は、大きな仕事をしながら世の中に知られていない郭茂林さんについて、当時の仕事も伝えられたらいいなと考えるようになったという。

カメラ(映画)は、90歳を目前にした郭氏が、2010年の秋に台湾を旅し、子ども時代から青春時代にかけて過ごした学校や街、自らが手掛けた超高層ビルなどを探訪、どこでも盛大な歓迎を受ける姿を淡々と追いかける。笑顔で、ユーモアたっぷりに、奇をてらうことなく、ゆっくりと紡ぎだす郭氏の言葉が、いつのまにか、次世代への遺言のように聞こえてくる。

「実は撮影期間は2010年の夏から秋までと短期間でした。台湾から帰国した後、体調を崩されて・・・映画のなかでの郭さんの自然な感じは撮影スタッフとの関係の賜物。カメラマンの松根広隆さんの力です。また、ギリギリの素材のなかでいかに郭さんの魅力を出すか、そこが成功したとしたら編集の糟谷富美夫さんのお陰です」(酒井監督)

KMG建築事務所郭純代表

筆者が心に残ったシーンは、台湾でのパーティの席上、郭氏が自らが立ち上げたKMG建築事務所の意味について「Kは郭、Mは茂林、Gはグループだよ。一番大事なのはG、グループなんだ。」と話すくだりだ。一人ではダメでも何人か集まる事で何十倍もの力が出る、という信念。これには背景がある。

郭氏は、かつて霞が関ビルの建築チームのリーダーとして、ともすると個性が強すぎてバラバラになりかねない集団をうまくとりまとめ、名プロデューサー、名コーディネーターとして抜群の才能を発揮したという。黒子役だ。そう考えると“G理論”は郭氏ならではとも言えるが。黒子役だからこそ無名だったとも言えるかもしれない。