【本報訊】台灣語言文化協會於8月5日在東京池袋的東京語文學院展開一場台灣語演講會。現場吸引20多位參加者,到場學習台語。現場有4位日本朋友特地前來參加演講會。其中有一位日本學生以流利台語自我介紹:他喜歡去台灣旅行,為了和台灣人作更密切接觸,開始學習台語。此次演講會分為兩部份,一是由二松舍大學名譽教授張明輝用台語來教授大家講三字經。張教授全程都以台語,為參加者們解釋其三字經之意義,並一字一句帶領著大家用台語朗讀三字經。

另一部份是由教授許極燉為大家講解,如何用漢語來寫台語。研究用漢字寫台語已二、三十年的許極燉教授表示:漢字對語言來說關係極為密切。台語詞不僅可用注音和拼寫漢字的方式寫出,也可運用羅馬字來協助,正如日本人運用漢字和平假名,實有異曲同工之妙。


這二位教授以平潤語調和輕鬆詼諧的表達方式,加以淺顯易懂的敘述說明,使參加者在短短3小時,了解其「台語」之精髓。台灣語言文化協會會長張瑞銘表示:感謝大家抽空到現場學習台灣語。並宣布11月4日在湯島會館將邀請台灣藝術大學顏綠芬教授來日演講台語音樂文學詩詞之美,歡迎大家踴躍參加。
台灣語言文化協會演講會 ~ 歡迎大家鬥陣來講台語 ~
熊本と大分に台湾が見舞金

台北駐日経済文化代表処の羅坤燦・駐日副代表は7月24日、7月の豪雨により水害が発生した熊本、大分両県にそれぞれ見舞い金50万円を贈った。
羅・副代表は、沈斯淳・駐日代表の代理として熊本県東京事務所を訪れ、大分県出身の衛藤征士郎・衆議院副議長と懇談。台湾の政府を代表して、熊本県東京事務所の佐伯和典所長および大分県東京事務所の西野智行所長にそれぞれ見舞い金を手渡した。
羅副代表は「今回の熊本県と大分県の豪雨水害に対してわが国は非常に心配しており、楊進添・外交部長からも樽井澄夫・交流協会台北事務所代表にお見舞いの意を伝えた」と述べ、今回の災害からの一日も早い復旧と復興を祈念した。また、佐伯所長は「温かい心遣いに感謝したい。観光客誘致などで引き続き支援をお願いしたい」と謝辞を述べた。
(写真提供:台北駐日経済文化代表処)
宋楚瑜・親民党主席夫人 大腸がんで死去

~米留学時代から44年間夫を支え続けた内助の功、陳萬水女史~
親民党の宋楚瑜主席夫人、陳萬水女史が7月27日、大腸がんのため台北市内の和信癌センターで亡くなった。亨年72歳。夫人は2006年の台北市長選挙で宋主席が立候補した時期に大腸がんと診断され、6年間の闘病の末の死だった。
夫人は宋主席、息子の宋鎮遠氏、娘の宋鎮邁さんに最期を看取られて旅立った。
宋主席は1942年中国湖南省生出身。1974年に米国ジョージタウン大学で博士号取得、帰国後に蒋経国総統(当時)の英文秘書として政界入りをした。1989年に国民党中央委員会秘書長、1994年には台湾省長など要職を歴任した。2000年総統選挙では無所属で立候補、陳水扁元総統に僅票差で敗れた後、中国傾斜を主眼とする親民党を立ち上げた。優れた英語力を持ち、政治手腕にも定評があり、人情家でもある宋主席だが気性が激しく敵も味方も多かった。
その宋主席を44年間、陰で支え続たのが一つ年上の陳萬水女史だった。米国留学時代に知り合い、アルバイトや彼女までも紹介、甲斐甲斐しく宋主席の面倒を見た夫人にいつしか宋主席も恋心を抱き、留学中の1966年に結婚。婚後は経済的に苦しい留学生活のため、夫人は修士の学位を諦めて働いて夫を支えた。
陳萬水女史は笑顔を絶やさず気さくな人柄で反対陣営からも好かれていた。今年1月の総統選では痩せた病身で街頭に立ち、夫への支持を訴えた。宋主席は有望政治家だったものの、3回の総統選と市長選に失敗。夫人はその全ての選挙戦を全力で支えた内助の功だった。そんな妻に対して宋主席は公共の場であっても大きな愛情を示していた。自己のFACEBOOKにも「花水木」という歌で妻への愛情を表していた。
親民党によると、葬儀は内輪で行ったという。馬英九総統は、「宋主席の悲しみはよく分かる。だからそっとしておきたい。泰金生秘書長に個人的に追悼の意を伝えた」とした。
台湾政界の重鎮、宋楚瑜主席の今後の動きが注目される。
(写真提供:中央社)
井上信治議員インタビュー

~自民党青年局長を経て日台のパイプをより太く~
1972年、日中国交回復によって日本と台湾は表面上は国交がなくなった。そのような状況で、当時与党だった自民党幹部による正式な台湾外交は難しくなった。自民党は対台湾窓口機関として自民党青年局※①(以後青年局)を指定、台湾側も中国青年反共救国団(現在は救国団)を設置して対応。国交断絶以降も毎年日本と台湾の相互訪問を実施しており、日台間の貴重なパイプ役を果たした。その青年局42代局長として2007年8月より3年2ヶ月勤め、日台の実質外交に貢献したのが井上信治衆議院議員(自民)である。
井上議員との台湾との付き合いは国会議員初当選の9年前より始まり、訪台回数はこれまで20回以上に達する。青年局長時代には2ヶ月に一回は台湾へ足を運んでいたほど。訪台する度に総統をはじめとする台湾の立法委員(国会議員)とも会談し、馬英九総統や王金平立法院長とは旧知の仲。だが、「局長時代は台湾に配慮して中国には行かないようにしていた。しかし、台・中が経済協力枠組み協定(ECFA)を締結する等融和が進む中、今後は親台派、親中派という区別はつけない方向にもっていかなければならない」と述べた。現在は、井上議員は局長としての豊富な経験を生かして、青年局顧問として活躍。また、日華懇※②の主要メンバーでもある。
7月23日、井上議員ほか東京都議会議員など30人が海外視察研修と2011年の大震災に対する支援のお礼を兼ねて訪台。井上議員は到着日夜に開催された亜東協会(日本の交流協会に相当)が主催する歓迎式典に参加。他の訪台議員は3泊4日の日程だが、井上議員だけは1泊2日の強行スケジュール、翌日は小泉進次郎議員率いる青年局の研修視察と合流するために沖縄へと向かった。
井上議員は「今まで何度も訪台しているが、いつも短期日程で政府、立法機関が集中する台北だけ。いつか、一週間ぐらいゆっくりと時間をかけて台湾のあちこちを見て廻りたい」と語った。若くしながら青年局長を経て今は顧問として良きアドバイザー、そして自民党若手議員の兄貴分となっている井上議員。式典開始直前の慌しいなかでも気さくに取材に応じて下さり、国会議員でありながら決して気取らない姿が印象的だった。
※井上信治衆議院議員…1969年東京都出身。実家は眼科病院。開成中・高校、東京大学法学部卒業。国土交通省・外務省勤務後、英国留学、ケンブリッジ大学修士課程修了。2003年、衆議院議員総選挙で当選、国会議員となる。自民党所属(麻生派)。2007年より2010年まで自民党青年局長を務め、現在は顧問として後輩議員の指導に当たっている。自民党国会対策副委員長。
※①自由民主党青年局…若手議員(45歳以下)で構成される自民党の組織局。
青年局長は「若手政治家の登竜門」とも呼ばれ、歴代局長には竹下登氏、海部俊樹氏、安倍晋三氏、麻生太郎氏など台湾との関係が強い主要政治家が名を連ねている。現在の44代局長は小泉進次郎議員(小泉純一郎元首相の次男)。
※②日華懇…日華議員懇談会。台湾との関係強化を目的とした超党派の議員連盟。
















































