「高座日台の会」新年会が開催 

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「高座日台の会」(佐野た香会長)新年会が1月21日、都内で開催された。60人あまりが出席した。参加者全員の記念撮影の後、田中副会長が開会の挨拶。続いて衆議院議員義家ひろゆき氏、伊勢原市高山市長ほか、県会議員、市会議員、同窓会会長などに加え、駐日代表處政務部徐次長、台湾協会森田常務理事、東京台湾の会多井事務局長、明石会不破事務局長ほか多くの友誼団体が祝辞を述べた。

この後、野口毅名誉会長の挨拶と乾杯の音頭で懇親会となった。

会場は歌や余興で賑やかになり、往年の思い出話もはずんで、和やかな雰囲気に包まれた。中締めは全員で万歳を三唱し、再会を約束した。

佐野た香会長は新年会を振り返り、次のように述べた

「私たちはその当時、高座海軍工廠でともに勤務し、ひたすら『お国のために』と心を合わせて頑張った人たちと、その仲間同士の集まりです。そして、来日していた台湾少年工の人たちとの間に結ばれた絆を大切にして、もう70年あまりにもなりますが、これまで絶えることなく交流を重ねて参りました。それは今になっても何も変わるところはありません。私たち『高座日台の会』は、会員の親睦と台湾との親善を柱としております。そして、これからも仲良く、楽しく、また明るい会であるようにと心掛け、進めて行きたいと思っています」。

台湾プロ野球リーグでタイトル獲得の小林亮寛投手、中南米のリーグにトライ(1)

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小林投手(中央、背番号22)

台湾プロ野球リーグでゴールデングラブのタイトルを獲得、台湾を離れた後も現役投手としてプレーを続けている小林亮寛投手が、昨冬も海を渡り、ドミニカで開催された「ウインターリーグ」にトライ。昨年11月中旬から12月中旬までの約45日間、ドミニカの首都サントドミンゴに滞在した。

「温暖な気候の中で肉体のリセットをすることが目的でした。2012年、2013年と2年間、韓国でプレーしてきたのですが世界一厳しい練習に加えシーズンでフル回転したこともあり慢性的な疲労で身体が硬くなりスピードが落ちて来ていたので動きながら身体を緩めることと、アジアには少ない硬く傾斜の強いマウンドでの投球をしたかったからです」

ドミニカは気温19度〜31度と年間を通して温暖で過ごしやすい気候にある。また小林投手は昨シーズン韓国・高陽ワンダーズで全48試合中29試合49イニングに抑えとして登板、フル回転したシーズンの疲れを「動きながら緩める」ということが目的にあった。日本、台湾、韓国、さらにはメキシコ、カナダ等、様々な国のリーグでプレーした小林投手だが、ドミニカでは新たな発見があったと言う。「選手がそれぞれ個性的なのでアジアの野球に比べて『野球の幅が広い』と言う印象です。野球は各国で違いますがメジャーリーグの各球団にとっては選手の発掘だったり調査している選手の新鮮な情報を集めるショーケースとしての役割に注目が集まります。パワーやスピードに加え、細かいコントロールや走塁、連携プレーなども素晴らしい選手が沢山プレーしていました。また、ドミニカ共和国の場合はメジャーリーガーでも球団と折り合いがつかず自由契約となった選手達も沢山います。ウインターリーグのチームは登録選手が毎日入れ替わり補欠の選手も50人以上いるそうなので、試合に出ることすらままなりません。なのでプレーしている選手達は必死です」

小林投手にとって、ドミニカでの収穫は非常に大きかったと言う。「中南米の殆どの選手は一年中プレーしながら生きています。走り込みや投げ込みといった作業がなくても野球選手としてのポテンシャルは非常に高いのです。走り込みや投げ込みはしませんが計算されたトレーニングなど弛まぬ努力をしています。自分がこれまでやって来たことが本当に正しかったのだろうか?と問題提起してくれました」

台湾で大活躍し、台湾の野球ファンにとって「印象深い」存在となっている小林投手だが、現在も国境の枠を越え、力強く「野球」にこだわり続けている。

公募 東京書作展「選抜作家展2014」に周東寛さんが出品

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選抜作家展
選抜作家展
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周東寛さん

東京新聞主催の公募「東京書作展」の出品者のなかから、会友・一般以上、無鑑査、依嘱、審査会員、常任運営委員が出品する「選抜作家展’2014」が東京都台東区の東京都美術館で2月15日から2月21日まで開かれている。

会場の様子
会場の様子

 

真ん中の作品が周東寛さんの作品
真ん中の作品が周東寛さんの作品

会友・一般部門にドクター周東こと、南越谷健身会クリニックの周東寛さんが出品した。作品は「養醫心磨醫技」だった。

大阪中華学校羅辰雄理事長インタビュー

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大阪中華学校羅辰雄理事長
大阪中華学校羅辰雄理事長

戦後立ち上げた会社、豚まんの“蓬莱”の二代目社長にして、昨年、大阪中華学校理事長に就任し、飛躍に向けて尽力する羅辰雄理事長に現在の思いを聞いた。

Q台湾との関わりは。

A父が台湾の嘉義の出身です。9人兄弟の8番目で、日本で商売をしたいと昭和16年に船で岡山港に上陸しました。初めて食べたのが桃で、それがわすられない味となり、以来、台湾土産は岡山の桃でした(笑)。父は神戸の華僑居住地から工場に勤めに出ていましたが、終戦と同時に大阪に居を移し、仲間と組んで、あらかじめ考えていた“蓬莱”という名の飲食店を始めました。当時は食べ物がなく、食材が入れば何でもよく売れたと言います。昭和21年に知り合いの提案もあり始めたのが豚まんです。これが大阪のお客さんにすごく受けました。私が生れたのは翌昭和22年のことです。

Q蓬莱の社長になったが。

A蓬莱は、当初、料理担当、財務担当、マネジメント担当(羅家)と3人の共同経営という形で始まりました。昭和37年の暮れに店が火事になったのを機に、会社は3つに分かれました。うちが株式会社蓬莱(現在551蓬莱)、他は蓬莱本館、蓬莱別館(現在ビル事業に転換)です。今でも後継者同士情報交換を行っています。東京の大学に進学することについて父は反対でしたが、春、夏、冬休みに会社の様々なセクションでアルバイトしながら勉強することを条件に許してもらいました。卒業後、すぐに副社長として会社に入りました。父とは衝突ばかりしていましたね。社長になったのは39歳の時ですが、名前だけ。社員が私を見ていません。皆、父のほうに行く(笑)。辛かったのは社員の信頼をもらえなかったことです。

Q世代交代については。

A私に限らず二代目社長は皆同じでしょう。時代背景が違うから親を追い越そうとすると大変ですし、できません。それである時、父を越さないといかんという発想はしんどいだけ。父が敷いたレールを間違いなしに走るのが一番と思い至りました。現在、67歳。息子は今35歳で副社長として頑張ってくれています。老害にならないようにサポートする形は何か、いつ、どういうタイミングでバトンを渡すのがいいか、考えています。

Q大阪中華学校の理事長に就任したが。

A私は父の方針で中華学校に行きませんでしたから、最初、大阪中華総会の洪勝信会長から理事長就任を進められても断っていました。ですが、「大阪中華学校は、自分たちの次の世代が日本と友好的な関係を作っていくための大事な教育機関でもあるし、自分は卒業生じゃないとかそういう発想をしないで考えなおして欲しい」と説得されて、自分なりに父の残した資料を読んだりして勉強していくうちに、大阪中華学校がここまでこれたのも大勢の台湾人の応援の賜物であることが分かってきました。それで校長先生や先生方のお話も聞いて「学校のことはよく分かりませんが、一緒に頑張っていきたい」と昨年春に理事長をお受けした次第です。

Q課題はあるか。

A幼稚園から中学校3年生まで280人を超える生徒さんがいます。うち、2割は純粋な日本人です。9年間に中国語、英語が勉強できることが魅力のようです。ですから大阪中華学校は、台湾人のためといった意味合いだけではないですし、優秀な生徒が小学6年で中高一貫校行ってしまう現実もあります。進学率を上げることも必要でしょう。また、土曜日も補講をやっていただいている先生たちのこともちゃんと考えていかないといけません。今は時間があれば週に1回は学校に顔を出しています。ちょっと気になっているのが校庭が狭いことでしょうか。休み時間に思い切って体を動かせるようにしてあげたいですね。

●プロフィール

羅辰雄(らたつお) 昭和22年大阪生まれ。昭和46年、大学卒業と同時に父親が経営する株式会社蓬莱に副社長として入る。昭和61年、39歳の時に社長に就任。平成25年大阪中華学校理事長就任。

日台商工交流会廣川啓智会長インタビュー

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日台商工交流会廣川啓智会長
日台商工交流会廣川啓智会長

台湾の貧困層に向けて毛布や紙オムツなどの支援を続ける日台商工交流会廣川啓智会長にこれまでの軌跡を聞いた。

Qデザインで成功したが。

A私は台湾芸術大学を卒業後、昭和48年、日本の大阪芸術大学に留学し、学生時代はグラフィックデザインやパッケージデザインを勉強しました。卒業後、起業し、最初はロゴやCI、包装紙、袋などのデザインを手がけましたが、仕事が限られていましたのでインテリア関係に手を伸ばして勉強しました。飛躍のきっかけは、石油ショックの後、三越が香港に進出した際、現地の壁紙サイズが日本のサイズと異なることが分かったものの、日本と中国のデザイナー同士の言葉の壁からコミュニケーションが取りずらく、タイル、壁紙、カーペットなどの資材の調達を二カ国語を話せた私に一任されたことです。これがヒントになりデザイン会社としての事業が展望できるようになりました。

Q主なビジネスの内容は。

A例えば、台北に事務所(ユニオンアートジャパン)を構えて、総合デパートの仕事を受注したり、北京の大手デパートの内装を一括受注し、JCD(社団法人日本商環境設計家協会)のデザイナー50人のチームで対応したり、現在は、厦門と上海に会社(工場)を作ってそこからハイクォリティのセラミックタイルを毎日コンテナ1本ペースで輸入しています。毎日コンテナ一本ペースで輸入し、大手ハウスメーカーに販売しております。

Q華僑団体との関わりは。

A15年前、日本関西台商協会を設立し副会長を引き受け、2年後、会長に就任し、東大阪、尼崎、八尾、堺市に出かけて台湾企業に交流を働きかけました。印象深いのは1999年の921地震です。会長の時でテレビで被害の様子を見て涙が止まらず、何とかしないとと考え、阪神淡路大震災時の時に作ったプレハブ住宅の残りをJCDの協力を得て台湾に贈りました。また、取引がある毛布の産地、泉大津市の日本人の業者の皆さんの協力で日本製毛布を贈りました。工場での袋詰め作業を見て、本当に助け合えるのは素晴らしいと思いました。

Q台湾の交通遺児や貧困家庭に援助をしているが。

A阪神淡路大震災時に知り合った台湾・立法委員に頼まれて、2007年、世界台商会聯合総会会長だった時に、ベトナムや南アフリカからの要望に応じて個人として日本製毛布を台湾の警察関連協会を通じて、判明した交通遺児や貧困家庭に対して寄付を始めました。ただ、私が役を降りて以降、中止となってしまったので困ったなと。それでここ数年、日台商工交流会を立ち上げて、台湾の賴士葆立法委員の紹介による財団法人草根影響力文教基金会からの寄付の要望に応える形で日本製毛布を寄贈しています。このことは台湾政府からも認められています。売名行為と見られるのは嫌ですが、今回、台湾新聞で紹介されることで日本の華僑団体の方々の協力をいただけたらと思っています。

ユニオン谷町ビル
ユニオン谷町ビル(デザインセンター予定)

Q課題は。

A日本に来て40年、台湾と日本の架け橋として何をしていくか。やはり、日本でデザイン関係の業種で成功している人は少ないですから、今までの経験を若い人に伝えたいと思います。これは僕しかできないことです。また、関西のデザイナーを集約することで情報発信源になり、台湾、中国、東南アジアへの輸出に際してはお手伝いをさせていただければ嬉しいですね。最後に、昨年、新たに自社ビルを買いまして、2014年5月に大阪市中央区の谷町4丁目に新しくデザインセンターを設立します。この一角を提供したいと思います。会議などで華僑団体の方々に使ってもらえれば。もちろん、無償です。

●廣川(黄)啓智氏プロフィール

台北市生まれ。40年前大阪芸術大学に留学。卒業後、日本で起業。その後、事業に成功し、現在、日台商工交流会会長、日本聯合設計株式会社社長、僑務委員会僑務顧問などを歴任。1999年、台湾中部大地震では、日本関西台商協会会長だった同氏は毛布や援助物資、募金を呼び掛け、また、阪神淡路大震災(1995年)で余った仮設住宅を台湾に寄贈した。2007年、世界台商会会長だった同氏はベトナムと南アフリカからの要望に応じて個人として日本製毛布を寄贈。その後、台湾の交通遺児や貧困家庭に対しても日本製毛布を寄贈している。

橫濱中華學院與台北教育大學簽署合作備忘錄

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 橫濱中華學院於2月17日和國立台北教育大學舉行學術交流合作備忘錄的簽約儀式,由橫濱中華學院校長馮彥國和國立台北教育大學人文藝術學院院長顏國明代表簽署,駐橫濱辦事處處長粘信士則應邀到場觀禮見證。

由駐橫濱辦事處處長粘信士(中),見證橫濱中華學院和國立台北教育大學簽署學術交流合作備忘錄
由駐橫濱辦事處處長粘信士(中),見證橫濱中華學院和國立台北教育大學簽署學術交流合作備忘錄

 首次和國內大學洽簽交流備忘錄的橫濱中華學院,創校以來培育許多優秀的華僑子弟,近年為因應新時代的挑戰,因此希望能借重國立台北教育大學在華語文教育的專業,期盼能進一步提升該校的華語文教學品質。儀式結束後,國立台北教育大學人文藝術學院院長顏國明則在橫濱中華學院校長馮彥國的陪同下,至駐橫濱辦事處拜會,隨後則於當天搭機返台。

國立台北教育大學人文藝術學院院長顏國明(左)拜會駐橫濱辦事處處長粘信士
國立台北教育大學人文藝術學院院長顏國明(左)拜會駐橫濱辦事處處長粘信士