行政院大陸委員会(中国政策を担当)は、昨年5月に中国政府の弾圧を恐れて渡米した中国の盲目の人権活動家であり弁護士の陳光誠氏の台湾訪問を許可した。これは民間団体「台湾關懷中国聯盟」がかねてより同氏の台湾訪問を招請しており、初の実現となる。陳氏は6月23日に妻子ととも一家4人で訪台し、20日間滞在する予定。滞在中は台湾大学を訪問し、教師や学生と交流を図るほか、成功大(台南)での講演、また24日に立法院長の王金平氏を訪問した後に立法院(国会に相当)での講演予定もある。
また、同氏の訪台で中国が反発する恐れもある。
日本と台湾の松山駅が姉妹提携へ 今年10月にも
交通部台湾鉄路管理局范植谷局長は5月17日、JR四国と台湾鉄路の「松山駅」が10月にも姉妹提携を締結する予定であることを明かした。

これは台北駅で開催された「2013日本物産博覧会」の開幕式の中で明らかにしたもの。范局長は「近年、日本と台湾の交流が多くなっており、鉄道に関しても、昨年にはJR北海道の蒸気機関車との姉妹提携を行なったほか、平渓線と江ノ島電鉄が友好提携し、使用済み切符の交換のキャンペーンを行なっている」とした上で、「愛媛県の松山市と協議し、今年の10月には松山駅と台鉄の松山駅の駅と駅の提携イベントを行なう」と発言した。

台湾鉄路松山駅は清朝時代の1891年「錫口」駅として開業。1920年に駅周辺の地名に合わせて「松山」駅に改称。2008年には地下化された。一方のJR四国松山駅は1927年開業。1990年には電化された。
日本物産博覧会 台湾人観光客誘致に60団体が参加
台湾観光協会と日本旅行は5月17日、台北駅で「2013日本物産博覧会」を開催した。魅力に溢れた日本の姿を台湾の人々に紹介するこの催しには、日本全国から自治体や企業ら60団体が参加し、台湾人旅行客の呼び込みを行なった。

このイベントは2012年から続く「日台観光促進年」の取り組みの一環として行われたもの。台湾で初めて旅行誘致イベントを行なうことについて日本旅行丸尾和明代表取締役社長は「年間143万人が日本から台湾にお伺いしている。台湾からも156万人。双方向の関係になっている。相互の交流をより拡大させていくことが、人的交流または経済交流に繋がっていくのではないかと考えている」と開催理由を語った。


熊本県商工観光労働部の坂本久敏課長補佐は、台湾でも人気急上昇の「くまモンうちわ」を配布して来場者の心をつかんだ。「台湾人旅行者は年々増加傾向」として、更なる誘致に期待する。また、長崎県平戸市は佐世保市、長崎市と共同でブースを出展。17世紀に台湾を統治した鄭成功の母田川マツは平戸出身。今年7月13日には鄭成功の生家が復元開放される予定。平戸観光協会の里村亮マネージャーは「生家を復元して、交流を活発化させたい」と意気込む。長野県も昨年10月の県知事トップセールス以降、台湾市場に積極的に売り込みをかけている。茅野市産業経済部山本貢史主査は「山と湖、違った自然を一度に楽しめるのが諏訪地区の魅力」と語る。ただ、諏訪地区の台湾人観光客数は「震災前の水準には戻っていない」と話し、今回のイベント参加で観光客数回復を狙う。



福島県は日本酒の試飲活動を行ない、訪れた人からの注目を集めた。観光交流課杉本寿一主任は「桜も綺麗、紅葉の時期も良い、スキーリゾートにも来ていただければ。後ゴルフですね」と福島の魅力を語る。会場には自治体以外にもテーマパークや旅館、鉄道会社などの企業も出展。日本でハローキティのテーマパークを運営するサンリオエンターテイメント営業課香川智史係長は「(台湾で)ハローキティは人気。ただ東京と九州の二ヶ所にハローキティのランドがあると言うのはまだまだ認知度的にもうちょっと」、「円安の追い風でぜひ来てもらえれば」と訪日旅行者の増加を期待した。

会場には多くの来場者がつめかけ、一時は歩くのもやっとになるほど。パンフレットを抱えた女性は「息子が日本が好きで、年に二回は遊びに行っている。今日も(パンフレットを)集めるように言われて来ました」と話した。日本からやってきたゆるキャラと写真を撮る親子もおり、日本旅行への注目度の高さをうかがわせた。日本旅行の丸尾社長は「こういったものを一過性ではなく、来年再来年と続けて、認知の拡大をしたいですし、これからもやって行きたい」と話し、日本と台湾の観光交流を更に促進させたい考えだ。この催しは19日まで行なわれる。
ドキュメンタリー映画「台湾アイデンティティー」の衝撃

ドキュメンタリー映画「台湾人生」(09年)、「空を拓く〜建築家・郭茂林という男」(13年)を監督してロングラン・ヒットを続ける酒井充子監督が、台湾と日本の戦後70年の歴史と関係性に向き合った作品「台湾アイデンティティー」を完成させた。キャッチコピーは「かつて日本人だった人たちが語るそれぞれの人生」である。
日本と台湾の友好と交流には、東日本大震災の際の200億円を超える義援金に象徴されるように、特別な意味が内在している。“特別な”とは、1895年から1945年までの半世紀、台湾は日本の統治下にあったという事実である。同化政策により日本語で教育を受けた、いわゆる日本語世代の老人たちは、日本語を話すだけでなく差別と葛藤のなかで、日本人としてのアイデンティティーを育みながら生きてきた。
ところが日本は戦争に敗れた。“日本人になり損ねた”人々は、一夜にして戦勝国の側についたが、逆に蒋介石中華民国国民党政権による言論統制と弾圧の時代(二二八事件=1947年、白色テロ、戒厳令=1949年~1987年)に遭遇する。


本作品には6人の日本語世代の老人が登場。例えば、阿里山のふもと達邦(タッパン)生まれの原住民族女性、高菊花(日本名:矢多喜久子)さん。弾圧により父親が逮捕・処刑され、その後長い間監視された。高菊花さんは呟く。「生まれた時代が悪かったのよ」。

黄茂己(日本名:春田茂正)さん。旧制中学卒業後、約8400人の台湾少年工のひとりとして高座海軍工廠に。台湾帰国後は小学校教員として定年まで勤めた。二二八事件で処刑現場を多く目撃。宮原永治(台湾名:李柏青、インドネシア名:ウマル・ハルトノ)さん。1940年、18歳で志願し、戦場を転戦し戦後はインドネシアにとどまり、オランダからの独立戦争を闘った。会社員として日本出張の際、一度だけ家族に会うべく“戒厳令”下の台湾に立ち寄ったが、これが最初で最後の里帰りとなった。
驚かされるのはいずれの老人もいまだに深い日本への愛着、日本人としての誇りともいうべき精神を大切にしていることだ。インタビューを受ける老人たちの涙が頬を伝う。酒井監督は「かつて日本人だった」日本語世代の老人一人ひとりに問いかける。「あなたは今、何人ですか?日本人ですか」と。
※7月6日より、ポレポレ東中野ほかで全国ロードショー開始。
台南市で「東北‐風土・人・くらし」写真展
日本国際交流基金、台南市政府文化局、交流協会高雄事務所が主催する「東北‐風土・人・くらし」写真展が、2013年5月16日~2013年6月2日まで、新營文化中心第一、二、三画廊(台南市新営区中正路23号)で開催中だ。入場無料。
同写真展は、日本の代表的写真家が1940年代から今日までに撮影した人びとや風景写真を通して東日本大震災で被害を受けた東北地方に注目するもので、東北地方の気候・風土・歴史に焦点をあて、人々の暮らしを紹介する。
【監修】飯沢耕太郎(写真評論家)
【出品作家】千葉禎介(1917-65)、小島一郎(1924-64)、芳賀日出男(1921~)、内藤正敏(1938~)、大島洋(1944~)、畠山直哉(1958~)、林明輝(1969~)、田附勝(1974~) 、仙台コレクション(伊藤トオル他) 、津田直(1976~)

日台双方の有識者に聞く 日台漁業取り決めの成果と課題
「日台漁業取り決め」が5月10日正式発効した。台湾漁船は八重山諸島の北側から北緯27度線の間で、日本が主張していた中間線を超えた操業が可能となった。しかし5月7日に行なわれた「日台漁業委員会」第一回会合では具体的な操業のあり方について話し合われたが、日台の主張は食い違い、今年中に二回目を開催することが決まっただけで、進展は見られなかった。では「日台漁業取り決め」の合意にはどんな意義があったのだろうか。成果と今後の課題について日台双方の有識者に話を聞いた。

横浜国立大学笠原政治名誉教授は「尖閣の問題を素通りして、交渉を漁業問題に限ったことは上出来」と評価する。漁業交渉ならば、どんな形になるにしても「解決の可能性」があるからだ。ただ、日本側が譲歩したことで八重山の漁業関係者から不満が噴出したことについては「当然と言えば当然。生活がかかっているのですから、両方ともニコニコ笑って決着するとは思いません」と漁業交渉の難しさを指摘する。
ただ、「元々沖縄と台湾双方の漁業関係者の間には捻じれた感情はなかった」、「(戦後は)宜蘭の漁民と八重山漁民の間でサンゴの採取などをめぐり小さなトラブルを抱えつつも、おおむね共存してきた」と語る。状況が変化したのは1972年の沖縄本土復帰、日台断交以降。「海上保安庁がだんだんと台湾漁民を排除していった」と言う。「『落としどころ』が適切で、双方の不満を小さく抑えられれば、後々まで遺恨を残さずに済むのではないか」と語り、今後の漁業委員会こそが問題解決の重要な場所であると語る。

台湾国立政治大学薛化元教授は「実際の所、主権問題を棚上げすると言う考え方は、以前から存在していたが、交渉の場で実現しなかった。今回実現の背景には日本の態度の変化がある」と分析する。「東日本大震災以降、日本と言う国家全体の台湾に対するイメージが過去と比べて大きく変化した」とした上で、昨今の日本を取り巻く国際状況の変化が、日台漁業取り決めの締結に至ったと指摘する。
また、「主権問題が解決出来ない状況下で、漁業問題で双方が衝突する機会を少なくできたのは前向きに考えていいだろう。また、海洋資源の共有についても同様である」と語り、取り決めの合意を評価した。日台漁業委員会については、「一度で全てを解決する必要はない」と長期的視野で解決を目指す事が必要とした上で、「第一歩を歩めたことは新たなスタートである」と語った。そして個人的認識として「漁獲量の制限は必要」と語り、ルールの制定を期待した。
5月16日からは日台の漁業関係者による日台漁業者間会談を実施。日台漁業取り決め適用海域における漁業者間の操業トラブル防止のための情報、情報交換が行なわれている。台湾側が主張する東シナ海の「平和の海」実現には依然大きな問題を抱えているが、着実に前へと動き出している。





















































