タイワンダー☆も応援「世界らん展日本大賞2014」メインステージに台湾伝統舞踊団

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 「世界らん展日本大賞2014」メインステージ
「世界らん展日本大賞2014」メインステージ

「世界らん展日本大賞2014」メインステージで、2月15日、よみうりカルチャー・台湾文化部特別ステージ提供の水精霊児童舞団(FairyStepDanceCompany)が公演を行った。台北駐日経済文化代表処沈斯淳代表夫妻ほか台湾関係者、日本人観客が大勢鑑賞した。

タイワンダー☆
タイワンダー☆

冒頭、司会による「世界らん展日本大賞2014」の見所解説後、舞台に台湾応援ユルキャラ「タイワンダー☆」が登場し、観客を喜ばせた。「タイワンダー☆」は、台湾の形をした着ぐるみで、頭の部分にバナナと椰子の木とランの花の飾りがついている。産みの親は、「台湾を応援する会」(後藤乾一会長)。誕生日は2013年8月8日だ。

「タイワンダー☆」。オリジナルのテーマソングが披露された
「タイワンダー☆」。オリジナルのテーマソングが披露された

この日は、オリジナルのテーマソングが披露された。曲を作ったのはシンガーソングライターのエバラ健太さん(31)。「見たい、食べたい、行きタイワン、タイタイタイタイ タイワンダー☆…」。アップテンポで明るいノリの曲で観客の心を鷲づかみにしていた。

シンガーソングライター エバラ健太さん
シンガーソングライター エバラ健太さん

エバラ健太さんは5~6年前に台湾を訪問したという。「その時に歴史的なところ、伝統的な料理を食べて大変おいしい思いをしました。それと周囲の台湾に詳しい仲間から取材して今回の曲を作りました。『台湾を応援する会」からお話をいただいたのは去年の秋ぐらいです」と述べていた。

水精霊児童舞団
水精霊児童舞団
水精霊児童舞団
水精霊児童舞団
水精霊児童舞団
水精霊児童舞団
水精霊児童舞団
沈斯淳代表夫妻と水精霊児童舞団
沈斯淳代表夫妻と水精霊児童舞団
沈斯淳代表夫妻と水精霊児童舞団

一方、この後、登場した水精霊児童舞団は、2001年に台湾で著名な舞踊監督タンフィーチェン氏とリーチョリン氏により創設された。海外公演からの招待も多く、2013年にはハンガリーの国際民族芸術祭に参加している。この日は、11歳から14歳の少女が出演した。色鮮やかな衣装と柔軟な体躯による台湾伝統舞踊は観客を魅了していた。

公演終了後、沈斯淳代表夫妻との記念撮影も行われた。

台灣蘭花業者到日參展 擔心低溫珍貴花種未帶出門

 世界蘭展於2月15日至23日展開為期9天的展示會,在15日開幕前一天特別舉行開幕暨頒獎儀式,由日本皇室成員高圓宮妃久子和承子女王、典子女王等人出席,而獲得此次日本大賞的栗野原潤也出席接受頒獎。

今年獲得蘭展日本大賞的作品「Epi. atacazoicum 'Mt. Iizuna'」
今年獲得蘭展日本大賞的作品「Epi. atacazoicum ‘Mt. Iizuna’」
日本皇室成員高圓宮妃久子出席14日的開幕和頒獎儀式
日本皇室成員高圓宮妃久子出席14日的開幕和頒獎儀式

 今年蘭展延續去年以「都市中心的樂園」為主題,最受注目的除了在各項審查中獲獎的蘭花之外,還有首次在蘭展中展出的藍色蝴蝶蘭,以及在蝴蝶蘭種中擁有最大葉片的「象耳蘭」的展示等。展場聚集來自日本海內外約20個國家地區的單位、業者參展,身為主要蘭花輸出國的台灣當然也沒缺席,由「上品蘭園」、「佳和蘭園」、「可可金鞋蘭場」、「億晟蘭園」、「吳祚雄蘭園」、「佳琦蘭園」、「清華蘭園」、「台大蘭園」、「長穎農業開發股份有限公司」等9家業者參展。其中包括「台大蘭園」、「清華蘭園」、行政院農業委員會社團法人台灣蘭花產銷發展協會等單位、業者以精緻的蘭花布置獲得景觀布置獎或海外獎勵賞等獎項。

在開幕前一天的內覽會中,台灣業者的攤位前就有不少客人前來選購蘭花
在開幕前一天的內覽會中,台灣業者的攤位前就有不少客人前來選購蘭花
長穎農業帶來不少曾在各地獲獎的蘭花參展
長穎農業帶來不少曾在各地獲獎的蘭花參展

參展的清華蘭園負責人、同時也是這次帶團來參展的負責人台灣蘭花產銷發展協會理事長高紀清便表示,最近因為日本連日低溫的關係,所以多數業者都不太敢帶比較珍貴的花種過來參展,但業者帶來的蘭花種類繁多,仍不減此次展示的可看性,隨後他也提到儘管近來日幣貶值,但他們沒漲價,就是希望可以把台灣好的東西帶給日本民眾。

 連年參展的「佳琦蘭園」負責人鄭耘明則特別推薦具德國專利的文心蘭給日本民眾,他表示第一次開花便將花帶來參展,此外也有多種自己配種的蘭花帶來日本展出,鄭耘明補充表示希望業績可以比去年成長1成,希望可以打開海外市場。另外,長穎農業的負責人也提到去年帶來展出的蘭花在展期間全數賣完,後續也有不少日本蘭花業者追加訂購,雖然此次因為氣候因素沒有多帶蘭花到日本參展,但很期待後續的交易發展。

行政院農業委員會社團法人台灣蘭花產銷發展協會設計的蘭花展示,獲得海外獎勵賞
行政院農業委員會社團法人台灣蘭花產銷發展協會設計的蘭花展示,獲得海外獎勵賞
台灣業者「清華蘭園」的展示作品同樣獲得展示獎項
台灣業者「清華蘭園」的展示作品同樣獲得展示獎項
日本著名花道家假屋崎省吾以蘭展的主題「都市中的樂園」為題,創作出的作品
日本著名花道家假屋崎省吾以蘭展的主題「都市中的樂園」為題,創作出的作品
藍色蝴蝶蘭是這次蘭展中受注目的展示之一
藍色蝴蝶蘭是這次蘭展中受注目的展示之一
有「象耳蘭」之稱的蝴蝶蘭,碩大的葉片最長的可達1公尺
有「象耳蘭」之稱的蝴蝶蘭,碩大的葉片最長的可達1公尺

台湾の「美味しい」弁当文化!〜「鉄路便當」も台湾の定番

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台北で販売される弁当
台北で販売される弁当

日本と台湾で現在でも酷似している文化として、列車内や駅のベンチで弁当を食べる「駅弁」があるが、台湾では「鉄路便當」と呼ばれる。台湾では紙の容器や、こだわる店ではアルミ容器を使用したものもある。街を歩けば「便當」の文字を見ることがある。「ビエンタン」と発音、「弁当」の意味である。台湾では弁当のことを「飯包」と呼んだが、日本の植民地時代の影響から「弁当」と呼ぶようになった。漢字も「弁当」が転じて「便當」として残ったと言う。

台湾鉄道「台北駅」は駅弁の種類が豊富だ。大きな鶏の腿肉をハーブやニンニクなどで香り漬けして焼いた「鶏腿便當」が人気メニュー。台湾には日本統治時代から残る建造物や駅舎があるが、一方で「弁当」などの食文化も受け継がれている。日本の弁当はおかず数品とご飯がしきりで分かれているが、台湾のものは肉の炒め物や鶏肉フライ、豚のスペアリブ、ソーセージ、魚フライ等のメインに、高菜、豆干などの副菜がご飯にかかり、蓋がされている。味は全体的に「醤油」風味のものが多く、塩気は日本ほどはないものの、油っこさはある。

具の味が白米にも染み込んでいるため、日本で言う「丼(どんぶり)」のイメージに近い。米は、台湾東部で生産される「蓬莱米」が多く使われている。日本のコシヒカリのように甘く弾力があり、弁当として食べるには最適だ。台湾の弁当を食べ「台湾のお米は美味しい」という感想を持つ日本人観光客も少なくない。最近では、一流レストランの有名シェフが創作した弁当が「駅弁」として発売されるなど、弁当マーケットも活性化している。

台湾から来福のビジネス研修生・・・「台北駐福岡弁事処主催」の懇親会開催

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挨拶をする戎処長
挨拶をする戎処長

戎義俊処長が、将来の台湾ビジネス界を担うエリート達を激励した・・・。ビジネス研修のため福岡を訪れている台湾からの研修生を慰労しようと、台北駐福岡経済文化弁事処」は、福岡市内の百貨店内のレストランで懇親会を開催した。参加したのは研修生をはじめ、弁事処や台湾貿易センター福岡事務所のスタッフら。戎義俊処長は「各研修場所での体験をざっくばらんに聞かせて欲しい。今日は皆さんと食事ができて嬉しい」と喜びを口にした。研修生達は「終業前に『朝の体操』をすることにびっくりした」「朝礼で、創業理念を大声で言う慣習があり驚いた」などと、配属された会社での驚きやエピソードなどを話した。

将来の台湾を背負う「ビジネスエリート」として期待される研修生達は、1月下旬に来福。九州旅客鉄道、ふくや、イオン九州、日本通運福岡支店など、福岡県内の小売、食品、運輸などの企業に配属され、研修先で本格的な職業研修を行っている。異国での連日の研修は約半分の日程を消化し、懇親会は、リラックスした雰囲気で行われた。着物の着付け体験や、いちご狩りや、酒蔵見学なども、余暇のメニューとして実施された。

研修生達は、福岡市内のホテルで開催される「研修成果報告会」でこれまでの成果を一人一人発表。フェアウェルパーティでは在福の関係者らと交流を持ち、帰台の徒に着く。

台北駐大阪経済文化弁事処 蔡明耀処長インタビュー

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台北駐大阪経済文化弁事処 蔡明耀処長
台北駐大阪経済文化弁事処 蔡明耀処長(2月2日春節祭会場にて)

外交部入省以来、日本畑を着実に歩み、2013年9月、台北駐大阪経済文化弁事処長に就任した蔡明耀さんにこれまでの軌跡を聞いた。

Q幼少年時代は。

A生まれは新竹の香山というところです。父は公務員、4人兄弟です。子どもの頃は貧しい時代でしたね。電気がついたのは確か小学校4年の頃かと思います。どこの家の子どもたちも学校から帰ると皆、農作業を手伝っていました。中学は地元の香山中学には入らず、新竹市内の第二中学校に行きました。汽車通学で朝が早いのですが、母が毎日朝4時に起きてお弁当を作ってくれました。当時、祖父が遺した丘陵地で父が果樹園を始めまして、妹と水汲みなどを手伝ったことが印象深いです。しかし、これは事業としては販売対策ができておらず、大失敗でした(笑)。

Q淡江大学で日本語を学んだが。

Aスペイン語、フランス語は除外し、英語も難しいかなと考えました。日本語は漢字がありますし、父母も日本語の教育を受けていましたから親近感がありました。ただ、国立大学に日本語学科はなかったんですね。私は理科系でも法学系でもないですし、まぎれもない文科系ですから、そうなると自然と日本語学科を選ぶことになりました。大学では日本語のほかに歴史や文学や地理も学びました。淡江大学には1971年に入学しましたが、この年に台湾が国連を脱退、翌年、日本とは国交断絶です。クラスメイトの半分はいなくなりました。

Q外交部入省までのいきさつは。

A大学卒業後、叔父の紹介で紡績会社に3カ月、その後、電機メーカーで日本の技術者と台湾の従業員との間の通訳をしていました。ここも3カ月で辞めたのは78年1月は台湾の国家文官試験に合格したからです。1977年に2種、78年に1種に合格し、行政院僑務委員会に入省しました。2年間勤務した後、79年に外交官試験に合格したため辞めました。公務員の義父の勧めもあり外交官になりたいと考えるようになったんです。

Q日本勤務について

A最初の日本勤務は93年の横浜弁事処です。赴任した日、横浜は25年ぶりの大雪でした。実はこの時、横浜国立大学の大学院の国際協力コースを受験して合格しました。外交部の仕事をしながら勉強をと思ったのですが、最終的に断念しました。その後、97年から99年まで中琉文経協会駐沖縄代表に就任しました。99年は台湾で921大地震があり、沖縄から多額の街頭募金(義援金1億円以上)が台湾に贈られるなど、以後も両国の緊密な関係は続いています。2000年から07年までは台北駐日経済文化代表処の僑務部長・業務部長に就任しました。台湾で政権交代があったり、ノービザ(台湾人の日本訪問)など様々な日台関係の進展がありました。

Q昨年、台北駐大阪経済文化弁事処の処長に就任したが。

A外交部から打診があったのは昨年の2月末です。すぐに駐大阪経済文化弁事処長の人事をお受けしました。大阪に長期滞在したことはありませんし、2府18県が管轄ということで広くて大変なのですが、関西地域は台湾ととても親しく、密接な関係にあります。この関係をさらに強化できたらと思いました。

●プロフィール

1953年、台湾・新竹生まれ。淡江大学東方語文学科卒。1978年行政院僑務委員会入省。80年外交部入省。以降、アフリカやフィリピン勤務を交えながら、93年亜東関係協会横浜弁事処部長、97年中琉文経協会駐沖縄代表、2000年台北駐日経済文化代表処僑務部長及び業務部長、07年亜東関係協会副秘書長及び秘書長に就任するなど一貫して日本畑を歩んできた。09年からスワジランド王国特命全権大使、13年台北駐大阪経済文化弁事処長に就任。