大阪中華學校六十七週年校慶園遊會

校門口國旗飄揚,大阪中華學校於6月9日舉辦慶祝創校六十七週年校慶園遊會,邀請家長、校友、僑胞、日本友人到校同歡慶賀。各班教室在同學們巧思布置下五彩繽紛、喜氣洋洋。教室走廊上擺滿家長、同學親手製作的刮包、大腸麵線、水餃、茶葉蛋,綠豆湯等日本難得一見的家鄉小吃及點心,還有跳蚤市場及學生的創意遊戲區。由於賣出所得歸各班班費,各班使出全力叫賣,校園裡充滿歡樂氣息。



駐日代表沈斯淳贈花籃致賀。大阪辦事處處長黃諸侯到校為同學們打氣,並監交理事長交接儀式。學校所在地的大阪市浪速區區長玉置賢司及多位理事到場觀禮。黃處長期許大阪中華學校在新理事長羅辰雄帶領下,校務蒸蒸日上,培養更多貢獻社會的人才。羅理事長認為,大阪中華學校創校六十七年以來,培育無數傑出校友,深信不遠的將來,校務必定更加發展,肩負起更大的使命。浪速區長玉置賢司說,將在行政上將盡全力配合學校提供完善的教育環境。


每年的校慶園遊會不只全校師生,也是畢業生及僑胞最期待的日子。校長陳雪霞說明舉辦園遊會的用意:希望家長與老師、學生齊心融為一體,讓學生們從模擬商店中學習分工合作,熱心的校友有機會回來與學弟妹互動、也提供僑胞相聚、品嚐家鄉小吃的園地。僑校不僅是孕育中華文化的地方,也是凝聚僑心,化解鄉愁的地方
湾生の魂を顕彰「東京台湾の会」喜久四郎会長の叙勲を祝う会が開かれる



東京台湾の会有志が発起人となって、6月14日、都内ホテルで喜久四郎叙勲祝賀会が開催された(※1)。参加者全員の記念写真撮影後、開会。呉正男さんが発起人代表として祝賀会開催の経緯を説明し、「素晴らしい準備をしてくれた担当者に感謝します。(会長の意志にそって身内だけの)ささやかな祝賀会が実現できたことを嬉しく思います」と述べた。

来賓祝辞として台湾協会齋藤毅理事長が挨拶した。齋藤氏は、喜久氏の叙勲を祝いながら、長年の教員生活に敬意を払いながら、「実は、私は昭和19年(1944年)に喜久四郎会長(※2)の母校である台北師範学校の附属国民学校に入学しました。同年、喜久会長はすでに国民学校に赴任しており、もう1,2年早く生まれていれば喜久会長の謦咳に接することができました」と悔しがった。


この後、サプライズがあった。喜久会長の母校である現・国立台北教育大学の張新仁校長から祝辞と記念品が贈呈され、来日できない張校長に代り、元台北師範学校芳蘭会(同窓会)事務局長の荘樹春氏がこの大役を担った。
続いて喜久会長の経歴を山下越子理事が紹介。これを受けて喜久会長は、子供時代、標高2000mの山で生活し、理科の授業でトロッコに乗って下山し、1日がかりで仏桑華(ハイビスカス)を観察したことなどを紹介するとともに「(終戦で)初めて日本の土を踏んだ時は私には異国(情緒)でした」と振り返った。





東京台湾の会の松澤寛文理事より、お祝いの贈呈、祝電披露が行われた後、同会三宅教雄顧問が乾杯の音頭を取った。和やかな歓談のなかで、元交流協会高雄事務所長喜田修氏、台湾物産館藤田克己社長(池栄青果株式会社社長)、日本李登輝友の会柚原正敬事務局長がそれぞれ心温まるスピーチを行った。


余興としてバリトン歌手古川精一さんが「仰げば尊し」、「ベートーヴェン合唱曲『歓喜の歌』(交響曲第九番・第4楽章)を熱唱した。この後も台湾協会根井洌常務理事、不破光一氏(明石会)などスピーチが続き、終盤には喜久会長の子息、喜久豊氏が挨拶、さらに喜久会長が「台湾行進曲」を歌い、会場は大きな拍手に包まれた。

中締めの挨拶は、中島欽一元理事、閉会の挨拶は、多井昭憲事務局長が行った。
※1喜久四郎氏は岐阜県下呂市教委の推薦により、今春の叙勲者に選ばれ、「瑞宝双光章」を受章された。
※2喜久四郎氏は、台湾原住民地区の警察官の5男として、1925年(大正14年)2月に生まれ、1932年(昭和7年)4月、太平山の日台共学の小学校に入学、寄宿舎生活。高等科卒業後台北第二師範学校(後に台北師範学校を経て、現国立台北教育大学)に進学(入寮)。1944年(昭和19年)日本人移民地区花蓮港区吉野村吉野国民学校に赴任。1944年9月、歩兵隊第304連隊に入隊、10月に台湾沖航空戦でアメリカ・グラマンとの応戦に参加。1945年8月、嘉義で終戦。1946年3月、基隆より引き揚げ船に乗り、広島に上陸。本籍のある鹿児島県奄美大島に向かうも占領下にあり、親戚を頼り岐阜県に。1947年(昭和22年)よりへき地を中心に教員生活に入る。群馬県前橋で2年、以後、1949年(昭和24年~1985年(昭和60年)まで岐阜県で教職を務めた。
東方美人の故郷を訪問 茶摘と製茶が最盛期
台湾北部の桃園、新竹、苗栗(びょうりつ)地区は、「桃竹苗」と呼ばれ、客家人が多く住んでいることで知られる。また、客家人とその文化はお茶と密接な関係があり、優良なお茶が栽培される産地としても知られている。今回は台湾茶の販売を手がける「台湾福茶」の協力の元、収穫と製茶が最盛期の東方美人茶園を訪れ、栽培状況と製茶の様子を視察した。

台湾鉄路竹南駅から車で30分弱の場所にある苗栗県頭份郷。日新有機茶園の許時穏さんが手がけるお茶は2008年に全国有機茶品評会で特等金賞を獲得した一級品。許さんも全国第十一回十大傑出農村青年に選ばれたお茶のスペシャリストだ。東方美人は6月上旬の「芒種」前後一週間が旬の時期と言われ、昼夜を問わない製茶作業が急ピッチで続けられていた。

朝に収穫された茶葉は直後から、製茶作業が始まる。萎凋(いちょう=乾燥)、攪拌、発酵、殺菁(さっせい)、揉捻(じゅうねん)など、その工程は複雑だ。その日の天気や気温、湿度によって製茶にかかる時間がそれぞれ異なり、判断は長年の経験と勘が頼り。製茶作業が進むにつれてお茶の色が緑から黒く変化し、香りも刻々と強くなる。半日以上かけてすべての工程が終了すると、やっと包装され、出荷される。しかし、一日の作業はそれだけでは終わらない。昼に収穫された茶葉の製茶作業も続けて行われるため、作業は深夜まで及ぶ。許さんはこの時期になると、寝る時間もない、と言う。



東方美人は濃厚な甘い香りとすっきりとした味わいが特徴。茶葉は芒種の時期に活動が活発になる「ウンカ」と呼ばれる害虫による食害が発生することで、渋みが減り、かえって独特の香りやうまみが引き立つと言う。当然ながら農薬不使用の有機栽培。ウンカの食害に遭った若葉は黄色く変色し、茶摘みから製茶の過程で芽の部分が白っぽくなる。小さな若葉は茶摘みに手間がかかるが、この芽の部分が多ければ多いほど、茶葉としての価値が高まる。許さんによれば今年は「まずまずの出来」だとか。新茶は特に香り高く、上品な風味と味が楽しめる。2~3年ものも甘みが増し、味わい深くなる。


許さんの手がけるお茶にはファンも多い。取材に訪れた日も、多くの人が製茶作業の見学に訪れていた。毎年購入していると言う苗栗県に住む夫婦は「やっぱり美味しいから買う。いつも楽しみにしています」と話す。ただ、天候や湿度に大きく左右されてしまう東方美人の栽培には困難が付きまとう。製茶作業も手間がかかり、産量も決して多くはない。貴重な東方美人は、特別な日に、贅沢な気分を味わいたい気分の時に最適な台湾茶。丹精込めて栽培された優雅な味と香りを楽しんでみてはいかがだろうか。






















































